飯豊連峰
   松ノ木尾根 1290mまで
2010年1月7日〜1月9日
    〜長い道のりの果てに〜
 
冬の飯豊ってどんな世界なのだろう。それが知りたくて、身を持って体験したいと思い行ってみる計画を昨年から立てていた。
モコモコさんからは、苦言をいろいろと言われたが・・・。
 昨年の11月には三国小屋にデポ品を担げ上げた。装備にも気を使って厳冬期用のブーツ、新しいスパッツ、オーバーグローブと揃えた。過去の記録等を調べたりと自分なりに勉強したつもりだった。結果は計画の甘さが露呈、稜線にも立つことができず引き返すことになってしまった。次回の参考までに書き留めてみた。 
1月6日
東京駅22:20〜会津若松駅5:10(夜行バス)

1月7日 曇り時々雪
会津若松駅6:55〜山都駅7:33(タクシー)〜川入・藤巻分岐8:30〜アッタ坂の清水10:16〜川入(橋)10:50〜杉村荘12:15〜飯豊鉱泉12:28〜御沢キャンプ場13:41〜長坂登山口14:03〜堰堤前14:39(幕営)

1月8日 雪時々曇り
堰堤5:55〜タカツコ沢(取り付き)7:06〜700m8:00〜800m9:14〜910m10:26〜1130m(90度カーブ)13:16〜1235m15:07(幕営)

1月9日 雪のち曇り
1235m8:15〜1290m9:19〜1130m9:56〜800m11:12〜取り付き11:38〜堰堤12:13〜長坂登山口13:04〜御沢キャンプ場13:19〜飯豊鉱泉14:19〜川入(橋)〜アッタ坂の清水15:20〜藤巻分岐16:41



1日目(1月7日)

コースタイム

川入・藤巻分岐8:30〜アッタ坂の清水10:16〜川入(橋)10:50〜杉村荘12:15〜飯豊鉱泉12:28〜御沢キャンプ場13:41〜長坂登山口14:03〜堰堤前14:39(幕営



半年前から出しておいた休暇願も受け入れ、休みを無事確保。
登山届も警察署に送った。
食料の準備も概ね終えた。
夜行バスでのアプローチであるが、出発日は山人が忙しく、職場から直行となり、途中でモコモコさんと待ち合わせる予定だった。

出発直前になって、次々と思いもかけない出来事やトラブル発生。

出来事
その1.職場でインフルエンザにかかった欠席者が出てしまい、休みが飛ばされそうになってしまった。が、なんとか休めることになった。
その2.計画書を印刷しようとしたところ、プリンターのインク切れ。予備のインクも切らしていた(いつも買い置きしておくのに、こんなことは初めてだ。)のであわてて買いに行くことになった。
その3.安達太良山での遭難事故があったためか、心配した警察署から思わぬ電話が入った。入山確認をされ、下山したら地元警察署に話は通してあるので、必ず連絡を入れるようにとのことだった。(入山前に連絡が入るのも初めて)
その4.モコモコさんが乗る電車の予定に合わせたかのように車両故障で電車がストップしたことが判明。それを知らせるために家に電話をかけると、モコモコさんは、ちょうど靴を履いて玄関のドアに手をかけたところだった(ぎりぎりセーフ)モコモコさんは電車が動いているところまでタクシーで移動することとなった。
その5.(これは打ち合わせがよくなかった。)待ち合わせ場所についてお互いうまく伝わっていなく、時間をロスしたため、バス発車場に着いたのはなんと出発の10分前。

なんだか出発前に色々あったため、すでに一日をこなしてしまった感じだが、バスの席がすいていたので、席を移動してもよいという運転手さんの好意で、のんびりと休め順調に会津若松へ到着。

今回川入までは除雪が入っていないだろうと予想し、アプローチにスキーを使うことにした。JRバスにはスキーを持ちこむことができないので、会津若松郵便局留めにして送っておいたスキーをとりにいった。
バスは予定よりも早く着いたが、スキーをとりに行ってくると始発の磐越西線の時間に間に合うか怪しいのと、山都タクシーはまだ営業していないだろうということで予定通り次の列車に乗ることにした。

山都への移動時間中にブーツを履いたりと準備を済ませ、タクシーに乗り込んだ。
タクシーの運転手さんは、何回かお世話になった方だった。
タクシーでのアプローチは川入・藤巻の分岐までとなった。

入山中は使わないものをデポし、スキーを履いて出発。
昨晩降ったらしく脛まで潜った。
1時間ほど歩いたところで後ろから2台の車が近づいてきた。
軽い雪であるため、なんとか入ってこられたらしい。何かの調査で入ってきたとのことだ。
この車と何回か先を譲りながら進むこととなった。
車が先行してくれると、タイヤ跡を進めるので少し楽になる。
さらに進むこと30分ほどのところで、調査の方もこれ以上進むと雪崩れて車で帰ることができなくなるかもしれないとのことで、徒歩で進むらしい。
アッタ坂の清水から少し先で調査の方ともお別れで我々だけとなった。
このころになると気温が上がり、雪が腐って重く歩みが遅くなる。
やっとのことで川入に到着。
川入では、所々融雪させているため道がわかりにくく少し迷ってしまった。

林道は飯豊鉱泉のすぐ先で2mほど落ちてきた雪の片斜面となっていただけで、何も問題なかった。
ただ雪がやたらに重い。
アプローチで予想以上に時間がかかってしまったので、本当はできるだけ高度を上げておきたかったが、堰堤付近で泊まることとした。

明日すぐに出発できるようにスキーのデポを済ませた後、山人は水汲みと夕食の準備、その間モコモコさんはトレースを付けに出かけた。堰堤下の沢はなんか臭い匂いがしたが、堰堤を越えての水汲みも面倒なのでやめた。
日没後から雪が降り始めたが、標高が低いのでさほど寒くはなかった。
明日に備え早めに休んだ。


2日目 1月8日(雪時々曇り)

コースタイム

堰堤5:55〜タカツコ沢(取り付き)7:06〜700m8:00〜800m9:14〜910m10:26〜1130m(90度カーブ)13:16〜1235m15:07(幕営)

昨日の夜から雪が降り始め、20cmほど積もった。
まだ薄暗いうちに出発。

タカツコ沢にはブリッジがかかっていたので、渡渉せずにすんだ。
ついでに沢で水を汲んでから尾根に取り付いた。
尾根に上がる初っ端から一苦労。

空身ラッセルのシステムはモコモコさん相手だと全く機能しなかった。通常、先頭が空身で行ってトレースをつける。そのあとザックを取りに戻る。セカンドがその間に登り、そのまま空身となってからトレースをつける。となるのだが、山人がザックを回収して戻ると、モコモコさんにすぐに追いついてしまい、結局また空身ラッセルをする羽目になる。

たまにモコモコさんがラッセルをしているのを見るとストックで雪をこねくり回しているようにしか見えなかった。モコモコさんはやはりモコモコさんでした。
モコモコさんの名誉のためにフォローしておくと、モコモコさんの辿った跡はしっかりしていて登るのは楽でした。

こんな状況で空身でラッセルしていくが、傾斜が強く、木の根の周りが空洞になっているところもあり、なかなか苦労する。
1時間行動しても稼いだ標高差はたったの100m。
辛抱強く行くしかない。
尾根ははっきりしているので、ただただ上を目指していくのみ。

松の木がでてくるようになると、今までのような急傾斜ではなくなるが、ラッセルは相変わらず。
標高を上げると積雪量も増えたためか、時間がさらに掛るようになった。
ようやく尾根が直角に曲がる標高1130mに到着したときには既に13:00すぎ。
すでにる気0の状態モコモコさんから「どこまでいくの?」と聞かれ、「15:00くらいまでがんばる」と答える。

結局その後標高差100m稼ぐのに2時間近くかかってしまった。
ちょうどモコモコさんに宣言した時間になったので、まだ標高1235mであるが、泊まることにした。
荷物をとりに行く間にモコモコさんに整地をしてもらう。

荷物取りに戻った時には整地が概ね済んでいた。
この頃、疣岩山がはっきり見えた。これは今後いい天気が期待できるかもと思ったが、テントに潜りこむ頃には風が吹き始め、山並みもみえなくなってしまった。

今晩は、おかずはあるが、主食になる炭水化物がない。
今日中には小屋にたどりつけるだろうと、もう一泊分のアルファ米を持ってこなかったためだ。
モコモコさんからは、計画段階で「アプローチに1日、三国小屋まで2日かかると思うよ。その計画は欲張りすぎだよ。」とさんざん言われていたのだが、2日あれば小屋へ着ける計画としてしまった。引き返す大きな要因となった。
モコモコさんの読みは正しかった。

小屋へ行けばお酒もあるが、たどり着けなかったのでモコモコさんの持ってきた隠し酒をほんの少し飲んで寝ることにした。モコモコさんが多めに持ってきたパンを食べた。
明日三国小屋へ行けば燃料と食料が手に入るので頑張ろう。

シュラフに包まったものの、ラッセルでびしょびしょに濡れた手袋を乾かすので、シュラフが湿って保温力が落ちているのか、ご飯(主食)を食べていないせいか、なかなか暖まらない。
モコモコさんも、テントが風にあおられて「ブロック積むの忘れた!!!、体が冷えて寝付けない」と言ってしばらくラジオを聞いて過ごしていた。
22:00頃になるとモコモコさんは無事眠りについたようで、寝息が聞こえてきた。


3日目(1月9日) 雪のち曇り

コースタイム
1235m8:15〜1290m9:19〜1130m9:56〜800m11:12〜取り付き11:38〜堰堤12:13〜長坂登山口13:04〜御沢キャンプ場13:19〜飯豊鉱泉14:19〜川入(橋)〜アッタ坂の清水15:20〜藤巻分岐16:41



結局あまり寝られないまま朝を迎えた。
早朝3:00頃から再び風が吹き始めた。
今日は明るくなってから出発することにした。

4:30分に起きたが、風が強く吹いており、テントの入口を開けると粉雪がドーンと吹き込んでくる。
早く出発したいが、モコモコさんが「もう降りようよ〜こんなに風が強いし〜」と駄々といちゃもんをくっつけた変てこな言い訳をしてくる。先に行く行かないの議論がテントの中で繰り返され出発がすっかり遅くなった。

朝はいつもなら雑煮のはずが、今日はモコモコさんが持ってきたパンを食べて、出発。

さらに増えた積雪の中を空身でラッセルしていく。
標高1300mまでの間はほとんど傾斜がないが、一向に進まない。
さらに困ったことに、出発してまだ1時間しか経っていないのに、ひどくお腹がすいて力が出ない。モコモコさんも同じようで、荷物を背負っているとはいえ、後から着いてくるはずだけなのに一向に追いついてこない。
情けないことにシャリバテだ。昨晩又は今朝のどちらかできちんと食べていれば小屋に着けるだろうが、こりゃだめだ。
ガソリンも残り約400ml。残りの標高差約350m。ゆっくり登っても夕方までには三国小屋には入ることはできるだろう。予備日もあるので頑張ってなんとか稜線までいきたい。しかし、出発前からの数々のハプニング、主食のアルファ米がない。いろいろと悩んだ末、撤退!!

逃げ足だけは早い山人&モコモコであった。
昨日のトレースはきれいに消えて、尾根の雪堤も発達してきたが、あっという間に尾根の取り付きまで降りてきてしまった。

初日に泊まった跡はうっすらとまだ残っていた。
デポ品を回収して、再びスキーをつけて林道を戻る。

折角つけた初日のトレースも全く役に立たず、初日以上に重い雪となっていた。
それでもわずかながら下りベースなので、なかなか良いペースで進み、川入まで予想よりも早い時間に着いた。
川入は除雪が入ったらしく、道路はわずかに雪が残っているだけとなっていた。
無駄だとは分かっていたが携帯が通じるか試してみた。やはり、通じない。スキーがお荷物になってしまうのではと恐れるが、なんとか履いていける。

途中の休憩で、泊まった方がいいか話し合う。
アッタ坂の清水まで進んでから決めようということで、再度歩みを進める。
アッタ坂の清水に着いて再び作戦会議。

モコモコさんの読みでは川入・藤巻分岐には17:30頃、飯豊の湯には18:00頃に着けるだろうということで、19:38の磐越西線に間に合うかもしれない。
そうすると今日中に帰れるということで、頑張ることにした。

荷物が重く、さすがに雪が切れて板を少しはずすこともあり、休憩をとらないと進めないが、地図を見たモコモコさんから、「あと1時間くらいで分岐に着けるよ。」(実際には50分くらいだった)とのうれしい言葉がでる。

うす暗くなってきた中頑張ると、藤巻への道が見えた。「やったー、あと少し」とペースを上げ、17:00前に分岐に到着した。
除雪されていたのが大きく働いた上、スキーが使えるくらいの雪が残る程度までしか気温が上がらなかったという「神様ありがとうございます。」と思わず声を出してお礼を言ってしまったほどの幸運が重なり、ひと風呂浴びる時間も余裕で確保できた。

分岐では、スキー&ブーツを脱いで登山靴に履き替えた。
登山靴自体重いが、スキーブーツから履き替えると羽が着いた靴のように軽く感じた。
どんどん暗くなっていく中、「なんだか吾妻で同じようなことやったの思い出すな」と話しながらパッキングをしていく。
パッキングを済ませて、板とブーツが荷物となったので一層ずしりと重くなった荷を背負ってヘッデン装着で飯豊の湯へと最後のひと踏ん張りだ。

飯豊の湯に着いて、まずは喜多方警察署(登山届は福島県警へ提出したが、管轄の喜多方警察署へは県警から話を通してくれていた。)へ下山の連絡。
続いて、郡山在住のTさんから何度か着信があったので、電話をしてみた。すると、山都発19:38に乗れるなら、郡山で会いましょう(翌日は安達太良へ行きましょう)ということで、郡山へ着いたら再び連絡することになった。

そしてお風呂に。冷えた体が一気に温まり、最高の気分だった。
お風呂から上がってタクシーの迎えを頼んでから、お腹がすいていたので、食堂でそばを食べ、軽く乾杯をした。

あとは、乗り物に揺られていくだけだと至福の時を過ごしていた。・・・・のだが・・・・

下山した途端、トラブル発生。
予約した時間になってもタクシーがこない。
モコモコさんに「タクシーに電話して」と言われるが、もう少し待ってみると電話はしないでおいた。
しかし、ひっきりなしに電話するように言われるので、連絡してみることに。すると、電話に誰もでない。
「だから早く電話しなっていったのに。」とモコモコさんから叱られる。
なんで俺が怒られるんだ?と納得できない思いでいると、電話が入る。
電話に出てみると、タクシーからだ。なんなんだ?と出てみると、タクシーはあろうことか何を聞いていたのか勘違いしたのか明後日の場所に迎えに行っていた。
とにかく飯豊の湯まで来てもらうことにした。モコモコさんからどれくらいでここに来られるか聞くように横から言われていたが、モコモコさんの声が耳に入らずいつごろ着くか聞かなかったので、ここでモコモコさんの温度計(血圧)が上昇。

モコモコさんがおもむろに電話帳を持ってきて何かを探し始めた。
郡山へは出られない(山都発19:38の列車に間に合わない)と踏んでどうやら宿を確保することにしたらしい。
詳しく聞こうとしたが、さわらぬ「苛立ち&脳みそ回転中のモコモコさん」に祟りなしということでお任せした。
会津若松へは確実に出られるので、会津若松のビジネスホテルの部屋をどうにか確保した。
さらにTさんへ郡山へたどり着くことができない旨の連絡。
するとTさんからは、明日会津若松まで迎えに来てくれるとのありがたい申し出があったが、このトラブル続きの後のありがたい申し出・・・なんだかいつぞやとまったく同じ状況。
とてもいやな予感がしたので、折角ではあったが今回はおとなしくそのまま家へ帰ることに決めた。

ひと騒動が落ち着いたころにようやくタクシーが到着。
タクシーも慌てていたのか、我々の荷物を轢きそうになった。

荷物を急いで詰め込み、山都駅と急ぐが、やはり間に合わず。
出発時刻を過ぎても駅は見えずだったので、「ゆっくりでいいですよ」と声をかけ、列車出発時刻から5分遅れて山都駅に到着。

次の列車まで1時間以上あるので、ゆっくりパッキングしなおしたりして時間を過ごし、ガラガラで暖かい乗り物にゆられて会津若松へ。
宿に荷物を置いた後、改めて打ち上げをするため、夜の会津へと繰り出したのでした。



翌日談
予備日がかなり余ったのと思わぬ出費があったので、各駅停車で帰った(乗り継ぎはとても良かったにもかかわらず6時間以上かかった。新幹線はやっぱり凄い。)のですが、磐越西線に乗っているときに宿から携帯に留守電が。
なんと宿にワカンを忘れてきてしまっていたのでした。
今回、ツインが既に満室で、他に電話をかけるのが面倒だったので、シングル2部屋をとったことでモコモコさんと別室だったのが災いしたのか、うっかりしてしまいました。
スキーとブーツを着払いで送る手配をしていたのでついでに送ってもらうことと相成りました。
このレポを作っているときに無事スキー板たちと一緒にたどり着きました。

最初から最後までなんだか締まらない山行となってしまったが、良い勉強をさせてもらえたと思う。


夜行バスで会津若松に到着 山都駅
駅前の除雪は終了していた 藤巻と川入の分岐。長い道のりの始まり
ストックで底を突く積雪。 モコモコさんが行く
川入の風景 御沢キャンプ場
長坂分岐 堰堤前のテンバ
タカツコ沢の取り付き 右奥の尾根は90度カーブ先の尾根
モコモコさんが登る モコモコさんのラッセル
1130m地点 1130m地点を上から見る。
テン場の整地をしているモコモコさん 2日目のテン場
長坂峰方面の景色 1250m付近の平坦な登り
うっすらと見える尾根を少し登り引き返した 左に見える尾根は90度カーブへ続く尾根
モコモコさんの下りラッセル 1130mから延びる尾根を望む
右の尾根は1130mから90度に伸びる尾根 山人の下りラッセル
下りはあっという間 尾根を振り返る
天候は良い タカツコ沢の横断地点
除雪された川入 除雪された道路。車道真ん中の雪だけが頼り
暗くなる前になんとか到着 山都駅の様子


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